馬渕公開テスト、英語の攻略法

息子は英語が苦手でした。その息子の英語の攻略法です。

馬渕の授業で使ってるテキスト使います。

まずは単純な小さなことからはじめました。

単元ごと、例えばbe動詞、助動詞、関係代名詞、など

単元説明文のみをよく読む。よーく読む。できるだけ短期間に一気に。

文法の基礎をまずよく理解することに注力!!

これが息子が端的に偏差値を一番あげれた方法でした。

馬渕SSからSSSTへあがるまでやったこと

公開テストはとにかく基本的な問題を中心に確実に点数をとれることをまず主眼にすすめました。

宿題で解答をみても分からない問題は質問にいく。

先生も快くうけてくださる。 それで疑問ポイントをどんどん潰していきました。

教科による頻度でいえば数学、理科、英語、国語、社会の順でした。

総合で偏差値55で日曜日の特別SS講座へのお誘いを受けました。無料だったと思います。

馬渕SSST 公開テストであがるには

娘は中学2年の冬の馬渕入塾キャンペーンで入会。入塾時はSSクラスでした。

公開テストを受けながら上のクラスにあがっていきました。

娘をみていて公開テストで上がっていくには難しい問題ではなく基礎問題を確実に得点する。

これに尽きます。

特に数学だと第一問の計算問題前半から中盤。これは絶対に間違えてはいけない。

そこで確実にとれればOK

馬渕は数学をとても重視しているので公開テストの数学の点数がよければお声がかかります。

どの問題を答えて得点してるかは関係がないです。

点数のみです。

解けそうもない難問で悩むより第一問の計算問題見直してください!

突発性難聴その2

年末には眩暈、頭痛、吐き気に襲われました。

AIに突発性難聴によいこと、と検索し、しじみ汁を飲んだり、亜鉛サプリ飲んだり、

湯船につかるようにしたりしました。

年明け、すぐにかかりつけ医の耳鼻科へ。ステロイド治療のための血液検査をしていた結果がでてさらに7日間ステロイド治療を続けることとなりました。

念のため、高圧酸素療法なるを先生に質問しましたら、治る可能性があるならやってみたいと。

私の場合はまだそこまでではないのでということでした。

治らなかったらどうしよう?不安でいっぱいです。

突発性難聴になったこと

クリスマス前に突発性難聴という病にかかりました。

突然、耳に水が入ったような、ホールに入った時に声が響くようにきこえるような

少し耳鳴りもしていて私の場合は低い音が聞きとりにくいのです。

この場合一刻も早く耳鼻科を受診して薬を飲む(ステロイド)必要があるのです。

私は4日後くらいに耳鼻科へ。

最初は点耳薬を処方されましたが、私の場合よくならず3日後診察へ。そこでステロイドをもらい年末に突入。最初3日ステロイド6錠、四日目から4錠を2日、2錠を3日。

よくならないのに年末に薬がなくなるのに気づいて耳鼻科のある休日急病へ。大阪では大阪市西区にある中央休日急病診療所です。こちらは後に耳鼻科の先生にもききましたが耳鼻科の専門医がいるらしく、休日急病あるあるの専門じゃないので、、ということにはならないようです。

馬渕SSSTに入るためにやらなくてよかったこと

小学生からの早めの馬渕入塾、やらなくてよかったです。

うちのこどもの場合は基礎力のないままの早期入塾はやる気を失う原因になったと思います。

公文式でしっかり学んで数学I 英語CⅡ、終わってから自信をつけてから

入塾したほうが結果でたなと思います。中学1年生中学2年生前半なら全然間に合います!

入塾のタイミングは夏休みや冬休み、春休みだとキャンペーンがありお得に入塾しやすかったです!!

パート人生を変えた国家資格

あらぬパワハラを受けながらも耐えて

宅建士資格を取得すべく資格スクールに通いながら転職活動をしました。

専業主婦からの転職よりは状況はよかったです;

不動産を勉強したいということで宅建士を勉強しながら働きたい。

家から自転車で通える不動産会社にパートとして勤務させていただけることになりました。

不動産も何も知らない私が一から大変ではありましたが

ここでは不動産のイロハを学ばせてもらった貴重な体験となりました。

物件の掃除からレインズ登録、物件撮影、広告作成、契約書作成まで幅広く経験できました。

勉強が久しぶりでしたが強力なサポートとなる資格スクール、あらぬパワハラに対する怒り、

すべてを勉強にむけ、みごと一年で宅建士、ついでに賃貸不動産経営管理士に合格することができました。

私のパート人生がここで大きく変わりました。

事務のパートの仕事2

次は共済の仕事でした。

責任の軽い、入り口は誰でもできるハードルの低い短時間事務。

こういうところはだいたい人間関係がおかしい。

同僚なのにパワハラする。長くいるだけのキャリアなのに偉そう。

上司もしってるのか知らないのか放置。

時々、社員も病んで辞める。

お局パートに気に入られたら居心地はいいかもだけど、常に、ターゲットを模索。

なんか溜まってるものがあるのか変な環境。何年いても固定最低賃金だからか。

結局、私はこの会社にいる間に引越して通勤環境が変わったことでターゲットになり、色々嫌になり退職を心に誓って、資格学校に通うことにしました。

通勤時間でも勉強し、有給休暇を使っていつ辞めるか模索しつつ転職活動に励みました。

事務のパートの仕事1

その後、そんなに多くを求められない事務パートの仕事を探しました。

金融系の事務パートが時間的にも働きやすかったので2社ほど働きました。

ひとつは大手の入力の仕事。件数ノルマがありつつ絶対に間違えられない神経のはる仕事でした。時給はほぼ最低賃金でした。

一件、間違うと朝礼で発表され、上司に怒られるそんな仕事でした。

ちなみにその上司は精神的に病んで現在求職中とのことです。

神経を張って仕事する分人間関係はさほどいじめたりとかはなかったですが仕事的に自分にはあっていないと思い、すぐ辞めました。

古巣に復活するも。。

書類が通過するようになってきたので事務の仕事に移りたく、過去正社員で働いていた会社の

パート事務に復帰することを考えました。

派遣登録的なことをして、最初の部署はあえなく落ちましたが、次の部署では内定をもらい働き始めました。

浦島太郎でした。

過去、正社員で働いてときとはビルも建て替わり、社内システムも全て変わり、、長らく子育てに追われ家庭の主婦をしていた私はきつかったです。

追いついていくのに必死でした。

そこで私はもともと社員で働いていたのでターゲットにはなりませんでしたがそこでも女性のパート同士の心無い言い方をする人やいじめ的なものが横行していました。

上司もめんどくさいのか放置していましたがあんまり酷いので何度か注意されていましたが結局全てが改善されるようにはならなかったようでした。

その人のせいで辞めていく人が何人かいました。

私はもと社員だったおかげでその憂き目にあうこともなくバーベキュー大会に参加したりもしてはいましたが結局1年足らずで辞めました。

その理由は仕事が16時までのはずがずるずる17時まわるようになり、余裕がなくスキルも追いついてなくてついていけなくなり、また息子が病気で休むと上司に電話したときにこどものことより「仕事は??」と言われてもう無理と退職を決意しました。

今のワーママと呼ばれる方本当に頭がさがります。

私が現役のころよりはワーママに対するサポートや体制が整ってきているとはいえ

目の回るような忙しさだと思います。

私の経験からは仕事も大事だけど、自分の心と体を一番大事にしてくださいね。

健康な体と精神があれば何度だってやり直せるとおもいます。