ミソフォニア 

私は音が気になって仕方がない、ミソフォニアの症状の持ち主でもあります。

そのせいで2度、マンションを売却しています。

ミソフォニア、特定の音に対して過敏に反応して、その音の対象者に

怒りを覚えるほどになってしまう。

私はミソフォニアのおかげで、人生を狂わされたひとりかもしれません。

夢にも思いませんでしたが。

音がきになって気になって仕方がない(>_<)人それぞれ特定の音があるようです。

音くらいと思うかもしれません。

私もかつてはそう思っていました。

ミソフォニアになりたくてなっている人はいないと思います。そんなこと気にするなんておかしいと思うと思います。でも本人も苦しくて苦しくてそんな自分が嫌になるくらい音なんかに人生を左右されたくないと考えているのです。

でもその音が恐ろしくて頭に纏わりつくのです。

 

 

 

馬渕教室SSSTの道のり

長女は中学2年生の冬休みのキャンペーンで馬渕教室に入ったので本当に大変でした。

入塾テストは下から二番目のSSクラスから。

冬休みに入ってすぐに公開テストがあったのかな?そのテストで基礎だけきちんととった数学が

塾の先生のお眼鏡にかかって、冬期の土曜日だけSSSのクラスにこないかとお手紙をもらったのが

最初です。基礎はできていたけれども塾独特の応用問題は全然触れてなかったので塾の宿題をこなすために

たびたび、質問に通いました。その送り迎えもやりました。教室に常駐されない先生もいらっしゃったので

電話でアポとったり、本当に必死でした。娘は早くから塾に通っている人たちに追いつくべきがんばっていました。

そこから少しづつ成績が追いついてきて通常クラスがSSSに上がったあとすぐまたSSSTへのお誘いのお手紙でした。

本人への意欲の確認もあるのか必ず、お誘い的なお手紙だったように思います。

授業の前に小テストがあり、つど点数をみんなの前に言わなければなりません。良い点だと鼻が高いけど、悪い点だと言いにくい。。そんな風でした。だけどそこのクラスはみなさん、勉強慣れしているというか生活の中に勉強が染みついているというようで、例えば単語テストをやるからと課題を与えられても本当によくできる子たちの集まりでした。

娘は負けず嫌いの優等生タイプだったのでなんとか食いついていき、最後は席順も後ろから数えて何番目までなりました。

また中学三年生になるとSSSTとSSSだけ別校舎の特訓会みたいなのもあり本当に忙しい毎日でした。

そこの地域のSSSTの数学の先生は素晴らしかった。とてもよい授業をしてくださいました。もちろん、公舎に常駐はしておらず、あちこちの校舎のSSSTを教えていました。

SSSTのクラスにはみんな北野高校(地域の有名な文理学科の公立高校)へ行くべし!!という空気感が流れていました。娘には、塾長からSSSTの先生と〇〇さんは北野行けるのではという話があったことを事前にきいていて北野を進められました。生徒の進路指導にあたって(仕事以外の飲みの席で)事前に話していたんですよ、というのはちょっとフランクな感じが加わってか事前に関心があって褒めているという印象を受け、そうなのかもな、と思うキッカケになっているかもしれません。

馬渕教室でSSSTクラスに入るには

馬渕教室には多少地域によって異なりますが、上から順にSSST(スリーエストップ)、SSS(スリーエス) 、SS(エスエス)、S(エス)H(エイチ)があります。

当時、馬渕教室には2カ月に1回塾で行われる公開テストがあります。その偏差値順にクラスと席順が決められます。

問題は、難しいものもありますが基本的にはきちんと基礎を理解して取れる問題をしっかりとれればそこそこの点数はとれるものなのです。SSSかSSはそれで可能かと思います。

私の個人的な考えですが、小学生のうちから闇雲に入塾させても子供の個性、向き不向きで誰もが成績があがるとは思えません。

うちの子どもたちは公文式で特に数学の計算力を鍛えたことが大きな成果を得たので、塾に行く前に公文式で中学分野のレベルまで完了させてから入塾するべきだと思います。男の子で漢字や英単語が苦手なら国語や英語も追加するのもいいと思います。

ただ、幼稚園児や小学生1,2年生くらいまでの早いうちに公文にいくとそこまでのレベルを終了させるのが(子供自身のレベル感もあるかもですが)大変になるので早くても小学生3,4年生からじっくり始めるのがオススメかなと思います。

それまでは勉強以外の習い事や遊び、家では本を読んだり、するだけで十分だと思います。特に従順で勉強が向いているお子様以外は

興味もないのに早期の勉強を推し進めるのは子供に苦痛や苦手意識を植え付けてしまうだけになるように思います・・

実際そういったこどもさんを何人かみてきました。

学校だけがあなたの世界じゃない!!

長女は、基礎学力はあったので入塾後、メキメキと成績が上がった娘は塾から地域で有名な進学高校を

勧められました。迷った末にその高校を受験しみごと合格しました。

しかし、、入学後1年間は楽しい高校生活だったと思いますがクラスが変わって2年生になった時から娘の高校生活が

心配でいっぱいな日々になりました。

負けず嫌いで頑張り屋さんの娘は勉強はしっかりしていましたが、運動部には所属せず、控えめな文化部に入っていたので

クラブの友人、という存在が圧倒的に少なかったのです・・クラス替えのクラスが運動部の子たちが集まったクラスでした。

しかもある特定のクラブが多いという。。

娘は小さい頃から人見知りであったので娘にも問題はあったと思いますが、、私としては自分たちだけがよければ他ほどうでもいいと

いう他人に無関心な子供たちも多かったのかなと感じています。

結局、知り合いのいない娘ともう一人の女子Bちゃんが浮いていました。そのこと仲良くすればいいのでは?と思ったのですが結局娘は誰とも打ち解けることが出来ないままの2年生でした。その間、ストレスのせいか、突発性難聴を繰り返していたし、卒業旅行も欠席しました。

娘だけが打ち解けられないのが娘のほうに多くの比重があるのかもと思っていたことが一転した出来事がありました。

こども同士はさほど打ち解けてなかったけれど、もう一人、クラスで浮いているというか打ち解けられていない女子Bちゃんが修学旅行に行っていたようなんですが、後から聞いた話、Bちゃんは途中で具合が悪くなり、行方不明になったのです。

結局Bちゃんは見つかったのですが、誰もBちゃんを気にかけなかったの??と怒りを覚えました。

自分たちさえよければ他はどうでもいい、娘にも原因はあるだろうけど、クラスもクラスなんだなと思いました。

超がつく進学校ってみんなすごい優秀なんだけれども、ちょっと闇を抱えてる?というか人間的にどうなん?その発言みたいな子も多かったようです。もちろん、とても優秀で性格もっていう人もいるのだけれども。得てしてこれまでトップ独走の子たちが集まった世界は

痛みが分からない子(自分が出来ることをなぜできない?と理解、寛容さがない、、)今まで優秀層にいたプライドを捨てられず苦しむ子、

色んなこがいる高校でしたが卒業アルバムに担任の先生がお手紙を挟んでいたのが印象的でした。

あなたたちは将来リーダーとなっていく、才能も有り、努力もできる。だけどみんな自分と同じような環境、能力でない、だから、自分と同じことが出来ない人たちを卑下してはいけない、それはリーダーではない、等々

担任の先生も感じていたのだと思います。思いやりに欠ける闇があることを。

不登校寸前の娘には毎日、学校なんてどうにでもなるから嫌だったら行かなくてもいいし、この学校だけがあなたの世界じゃないよ

人生でこうでなければならないことなんて、ひとつもない、何度も何度もいいました。

今は通信制の高校もあるし、高校にこだわる必要なんてなんにもないと思います・・

周囲からはすごいねと言われる高校は娘には色んな考え方方向性がそぐわなかったため辛い高校生活になってしまいました。

しかし娘は負けず嫌い、その悔しい思いを勉強にぶつけていたのだと思います。卒業するときは上位で卒業しました。

そして現役で京大合格を勝ち取りました。

もう、娘はあの高校へいかないくていいと思うとほっとした卒業でした。

馬渕教室へ入塾

これは娘には響いていましたが息子には無理だったオハナシです。

娘はとてもよく寝る子だったので睡眠時間がとても大切でした。大学生になった今でも時々9時代に寝ます。。

中学入学時、入塾を悩んだ末に先延ばしにしたので、なんらかの対策が必要だと感じていたので

常日頃授業はその場で全て覚えるつもりで集中してきくこと、また授業を受けるたびにかるーくでいいので復習をすること。

覚えなきゃいけない教科のものはできるだけ少しづつ短時間でよいので積み上げておくこと。

定期試験を楽に、よい成績をとるための作戦です。これを娘は実行しました。

公立中学の定期テストはこれだけで十分でした。

しかーし、息子はこの作戦は無理でしたっっ。。。なので息子は中学入学と同時に入塾したのでした。

この公立進学高校を目指す、公立中学生のための馬渕教室という進学塾に兄弟ふたりともお世話になりました。

公文式パワー発揮

こどもたちは二人とも家の近くの小学校へ通い、地域の中学校に進学しています。

長女の進学塾への入塾は、ある意味ギリギリのタイミングだったと思います。それ以上遅れると今の高校への進学は難しかったと

思います。入った塾は馬渕教室という進学塾でした。ここは成績が良い順に後ろの席に座るよう席順が変わる進学塾です。

入塾テスト後の振り分けクラスは下から二番目。まぁ、ふつうだったと思います。塾の講師は今からでも間に合いますとは

言っていたけれど後で振り返ってみると、「基本的には難しいけど、まぁ行ける可能性はあるかな」ということだったと思います。

ですが、公文式で培った基礎学力と学校での勉強の復習をきちんとやっていた功を奏しして塾の公開テストのたびに順位をあげ最終的

一番上のSSST(スリーエストップといいました)席も後方へ座っていました。

ただやっぱりずっと塾に通い、席次後半にいた生徒たちに比べて娘は短期間で追い上げる必要があったので大変ではありました。

またそこの塾の一番上のクラスの数学の講師はとても素晴らしかったと思います。やはり進学塾ならではのノウハウが詰まった

授業だったと思います。理科、数学はかなりの質問に通いました。国語はポテンシャルのみだったので成績の乱高下が激しかったですがまずまずまんべんなく好成績をとることが出来るようになったのが強かったです。難問を解くよりも必ず取れる問題をおとさない、これが塾の公開テストで好成績をとる一番の方法だったと思います・・

 

 

 

小学校学年、、いきなり進学塾は難しい

上は中学生になってから、下は学童保育が当時三年生までしかなかったので小学生3年生頃から

本格的?に公文式に通うようになりました。

とはいえ、数学メインでした。小学校までの数学は圧倒的にトレーニングが足りません。

九九から始まって連立方程式、因数分解、等特に計算のトレーニングが必須です。ここで中学三年生までの

計算スキルをつけるため公文式でいう中学3年生までの講座をすべて終了させる必要があるのです。

ここを飛ばして高校受験の進学塾に通ってもなかなかついていけないのが現状だと思います。(一部の天才もいらっしゃいますが)

二人とも公文式をへて馬渕教室に入塾しました。長女は中学二年生の冬、長男は中学入学と同時のタイミングでした。

机に座って集中する練習

小学校に入るとすぐにこどもちゃれんじを始めました。

ちょっとでいいので必ずやり遂げて添削を送るように。小さいうちのほうがやるのは簡単です。

量も難易度も低いうちに習慣づけます。

小さい頃から公文式に通っている子もいたけれどうちはそんな小さいうちはそこまでしなくても

遊びの延長線上でいいのかと考えてこどもチャレンジで十分でした。

やってよかったこと。

こどもと寝る前の読み聞かせはよかったです。自分も楽しかったしこどもも覚えていてくれた

ので良い思い出になっています。今でも本屋さんで家にあった本を見つけるとよくよんでいたね!!と会話が弾みます。

それと体が特別丈夫でもなかったし、またもや、私のコンプレックスで水泳教室に二人とも小学校に上がる前には習いはじめて

いました。水泳は動きの形を覚えないといけないので学校だけでは難しいだろうという考えでした。

やっぱりカゼひきにくくなりました。

あと出来るだけ褒めてあげること。口からでそうになる負の言葉をなるべく封印しました。

幼少期はそれくらいでした・・

あっという間でしたが楽しかった!!

小学校高学年くらいになるまでの子育てってほんといくら時間があっても足りないと

思うことがあるくらい手がかかるものです。

でも、今振り返って当時を思い出すととても貴重な時間でした。

今そういう子育て真っ只中の方、たいへんだけどとても幸せな時間ですよ!!

大きくなったらママがいないと寝れない、なんて言ってくれません。

今になってよかったなと思うことは、こどもには見栄をはらず、ありのままの私でいたことです・・

建前は子供にはいわない、本音でぶつかる、そんな子育て。

ある程度分別がつくようになった今は私の悩み、しんどいこと、なんでも話します。

ちょっとめんどくさそうなときもあるけど、こどもたちはうん、うん、ときいてくれます。

義姉にほんとうに、いい子に育ったね、〇〇さん(たま)はこどもに建前言わず本気でぶつかったのが

良かったのでは?なんて言われました。